沖縄戦から81年。沖縄戦とは。
沖縄戦は、1945年の太平洋戦争末期に、沖縄の地で民間人を巻き込んで展開された日本国内最大規模の地上戦です。
米軍が日本本土へ侵攻するのを遅らせるための「捨石(本土防衛の引き延ばし策)」とされ、軍人よりも一般住民の犠牲者が上回るという、極めて凄惨な戦いとなりました。
どのような戦いだったのか
- 県民の4人に1人が犠牲
一般住民を含む20万人以上の尊い命が失われました。当時、沖縄県民の約4人に1人が亡くなったと試算されています。 - 凄まじい砲撃「鉄の暴風」
米軍は、島の地形が変わるほどの凄まじい量の艦砲射撃や空爆を行いました。これはのちに「鉄の暴風」と形容されています。 - 少年少女まで戦場へ動員
「ひめゆり学徒隊」や「鉄血勤皇隊」に代表されるように、10代の中学生や女学生といった若者たちまでが、看護要員や戦闘員として過酷な戦場に駆り立てられました。 - 軍民が混ざり合った南部への撤退
日本軍の首里司令部が崩壊したあと、軍は南部へ撤退しました。そこには多くの避難住民がいたため、狭い地域に軍人と住民が押し込められ、被害がさらに拡大しました。 - 「ガマ」での悲劇
住民は「ガマ」と呼ばれる自然の洞窟に身を潜めましたが、米軍の容赦ない攻撃にさらされました。また、狭い洞窟内で日本軍による住民への「集団自決(強制集団死)」の強要や、スパイ視された住民の虐殺が起きるなど、極限状態の「狂気」が生み出されました。
戦争の始まりと終わり
- 1945年3月26日: 米軍が慶良間諸島に上陸し、沖縄戦が始まります。
- 1945年4月1日: 米軍が沖縄本島に上陸、激しい地上戦へ突入しました。
- 1945年6月23日: 日本軍の組織的戦闘が終結したとされています。現在、沖縄県はこの日を「慰霊の日」と定めています。
- 1945年9月7日: 沖縄の地で正式な降伏文書への調印が行われ、戦いが完全に幕を閉じました。
毎年6月23日には、最後の激戦地となった糸満市摩文仁の平和祈念公園で「全戦没者追悼式」が営まれています。国籍や軍人・民間人を問わず、すべての犠牲者の名前が刻まれた「平和の礎」の前で、今も多くの人が平和への祈りを捧げています。
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